【第1回】週刊BCN 編集長 畔上文昭 さん
2015.08.11
広い視野をもって横並びにならないメディアに。紙媒体の良さを活かしてチャレンジを続けたい。
「皆に喜ばれるメディア作りにやり甲斐を感じています」
SIerを経て出版社を立ち上げた20、30代
大手SIerで金融系のSEとしてキャリアをスタートした畔上さん。地銀の海外拠点の勘定系システムなどを担当していました。その後、外資系の出版社に入社、編集者になりました。担当していたのは当時一世を風靡したOSである、Windows NTの月刊誌。コンシューマ向けの雑誌と比べたら発行部数は少ないものの、順調に売上げを伸ばしていました。そのような中、「もっと売れるビジネスマン向けのIT誌を作りたい」と先輩達と一緒に新しい出版社を立ち上げ、編集長に就任しました。
複数媒体を立ち上げた後、BCNへ
しかしながら内容は支持されたものの思うように発行部数を伸ばす事が出来ず、「育児休暇」にもなる、と退職を決意。その後前述の外資系出版社から「新雑誌を立ち上げるために戻って来て欲しい」との連絡を受け、再度入社。そこで自治体のITに焦点を当てた月刊誌を立ち上げました。「全国を回って市長などに直接インタビューしました。制服も作ってイベントもやったんですよ。すごい盛り上がりでした」。
その後オウンドメディアの担当になり、多くの企業のコンテンツ制作に関わりました。「いわば特定企業のサイトですから、なかなか自分の作りたいものが出来ない。コラムで自己主張をしていました。非常に大変でしたが、この経験で掲載される側の気持ちを考えたり、作り方や見せ方を工夫する事の大変さを学べた気がしています」
最終的にその出版社が日本から撤退することになり、BCNに転職しました。そして今年になって木村編集長からバトンを渡され、30年以上の歴史を誇る老舗のIT紙である週刊BCNの編集長に就任しました。
「出版ベンチャーを立ち上げて30歳そこそで編集長になったときは、明らかに経験不足で、分からない事も多かったんです。経験を重ねた今だからこそ、わかるようになったことを紙面にぶつけるように心がけています。他メディアと横並びにならない企画を掘り下げることもそうです。敢えて今だからこそメインフレームの特集もやりました。それから、普段は表に出る事の少ない中小のSIerにも焦点を当てたインタビューもやっています。通常なら二次受け、三次受けなどになり、他のメディアではあまり取り上げられない会社です。こういった会社の本当の姿を紹介したい」
また、表紙に「週刊」やWeeklyという言葉を入れたのは先月からとのこと。そこには長年紙の新聞を毎週発行し続けていることを改めて強調したいという思いがあります。畔上さんが週刊BCNで目指しているのは「社長室におかれる新聞になること」。今Webには情報があふれており、BCNのWeb版もありますが、敢えて紙にこだわり続けていきたいと考えています。
広報担当者の訪問は歓迎。ただ一つだけお願いが。
畔上さんは、尋ねて来る広報担当者や営業担当者は歓迎とのこと。というのも、そこから得た内容が企画のヒントになることもあるからです。
「情報収集を兼ねて、展示会を回ってそこで名刺を渡すので、IT企業の営業担当者が後日尋ねてくる事もあるんですが、それがもとで特集の企画が決まった事もあります。いろいろお話が聞けるので来てくれるのはウェルカムですね」。
またPR会社の担当者も、複数企業のネタを一度にたくさん持って来てくれるのでありがたい存在だとのことです。ただ1つだけお願いがあり「BCNを読んで企画を持って来て欲しい」とのこと。というのも、内容を調べずに、合わないネタを持ってくる方もいるからだそうです。
「例えばの話なんですが、ゲーム会社の社長を表紙にしてくれと言われても、扱っている分野が大きく違います。多分中身を読んでいないのでしょうね。企業システムを取り上げているメディアだということが認識されていないみたいで」。当たり前の事かも知れませんが、企業の広報担当やPR会社は、どんなメディアであるかを調べて、訪問する必要がありそうです。
趣味の時間が減ったものの仕事にやり甲斐を感じる
「SEだったときには『お客様』を見ていればよかった」と畔上さんは言います。「メディアは、取材を受けた側、読者、そして広告主の三方をみなければいけません。ただ、いい紙面を作れば、取材を受けた側、読者、そして広告主に喜んでもらえます。多方面から感謝される仕事だと気づき、とてもやり甲斐を感じています」と語っています。
そんな畔上さんですが、編集長になってからは趣味のマラソンの練習時間が減ってしまったことにストレスを感じているそうです。少しでもストレスを発散できるように、木曜日の夜は、2時間程走って帰宅しているそうです。